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『紬「カンカンカンカンカンカンカンカン」』と『唯「ギコギコギコギコギコギコギコギコ」』のこと

感想。
いつだったか語りたいと言った気がするので今語る。
2次創作のSS作品(で、原作好きはまず読むなと言われるような作品)だから下に仕舞います。

二つの作品の似てると思うところとか、全然違うなと思うところとか、そういう話になるはず。



けいおん!SSである『紬「カンカンカンカンカンカンカンカン」(2010/09/28)』を最初に読んだときは、
正直「あー鬱系だなー」とか「なんか文章良いなー」くらいしか思わなかった。
同時に、『唯「ギコギコギコギコギコギコギコギコ」(2009/10/18)』と同じ作者なのかなとも思った。
似ているような気がして。

でも何回か読むうちに二つの作品はぜんぜん違うものだと思えるような気がしてきたし、
わたしは『カンカン』の方が断然好きだと気付いた。

まあ『ギコギコ』から『カンカン』は1年近くも空いてるから、
同じ作者であって書き方が変わっただけかもしれないけど。


2つの作品の似ている部分としては、
・タイトルが擬音語

・ト書きが基本、地の文有り

・内容がどシリアス

・構成(現在と回想〈事件〉を交互に出してくる点が少しだけ似てる)

・携帯電話が結構重要なカギ

・梓が死ぬ


だと思う。
反対に違うなと思ったのは以下の何点か。


・地の文の雰囲気
『ギコギコ』は地の文が語り手のキャラクターと合っていないように感じた。
平沢唯目線の一人称小説の体をとっているのに、唯の人物像とあまりにもかけ離れている。
やたら冷静だし、観察も鋭いし、そもそも語り口が男っぽいというか固いというか。
使う語彙も微妙に女子高生離れしてる。
SS内でそういう設定ならいいけど、仲間内では一応元のお馬鹿キャラで通っているのが結構な謎。
唯がこれなら、ブレイン役の澪や紬はもうどうなっちゃうの?ってなる。

『カンカン』はそういう違和感は別になかった。
というか紬の像がどこまでも掴みどころがなくて、よくわからなかった。


・三点リーダー、その他記号
『ギコギコ』では台詞部分とかの三点リーダーは一個(「…」)で沈黙や余韻を表現している。
これがかなり多用されている印象を受ける。
あとト書きの方では「♪」とか「///」とか普通に使ってる。
SSっぽさを残している。

『カンカン』では三点リーダーは二個(「……」)で、そこは小説作法に則ってるのかなと思った。
これも読み返してみると結構使われているけど、普通に読むうえで特に煩わしさはなかった。
完全に好みの問題だろうけど。


・誤字
『ギコギコ』は誤字がけっこう多い。
『カンカン』の方はあまり気にならなかった。
そのせいもあるのか、「1100円だね」は何の伏線かと無駄に悩んだ。


・語り手の内面の描写
『ギコギコ』はこれがすごく丁寧。
たとえば、以下は『ギコギコ』からの引用。

「私はあの(事件の)日以来、あの(梓と同じ)シャンプーの匂いを畏れるようになっていた。」(中略)
「にも関わらず、私の本能はその匂いを求めた。」(中略)
「しかし、私はその依存を断ち切るべく、先週、憂が買ってきたシャンプーの買い置きを全て捨てた。」

行動にはいつも理由が書かれててすごくわかりやすい。
上でも触れたけど、『ギコギコ』の「唯」は、自分を掌握してる感がすごい。
現在から過去の回想だからかもしれないけど、それにしても時間的にはそう経っていないのに。


逆に『カンカン』では語り手である「紬」の内面がハッキリとわからない。
例を引用するまでもない。梓に暴力をふるったりなんだりするたびに、
「自分でもなんでこんなことしてるのかわからない」みたいな思いが紬の中で頻繁に生じている。
反面「やらなきゃいけない」と考えてやってるし、それが一過性の癇癪みたいな症状ではないと自覚的。
他人から見たら完全におかしいことなのに、自身ですら正当化できないのに、だからといって否定もしない。
「わからない」なんて言いながら特段悩んでいる風でもない。

でも結末部分で自分の行動の理由に気付いた途端、世間と周波数が合ったみたいに梓の死を嘆く。
わたしはこの作品の「紬」の、そゆとこがたまらなく可愛いと思う。


・・・
あー。今やっとちょっとだけわかった。
『ギコギコ』では「憂」の、『カンカン』では「紬」の中身が見えていないんだ。
その見えなさが作品の怖さであり謎であり、読者を物語へと誘因する。
それが『ギコギコ』では「憂」という登場人物の一人に、一方『カンカン』では「紬」という語り手にある。
もしかするとその差にわたしが好きだなと思うポイントが隠されているのかもしれない。
単にどっちの文章が巧く見えるとかだけじゃなくて。


あ、だめだめちゃ眠い続きはまたいつか。今日はギコギコカンカン言い過ぎ。大工さんか。
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