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あたしと私と「さなぎ」のはなし。

「シン・ゴジラ」を観た。超面白かった。2回観た。

「君の名は。」を観た。面白かった。

「怒り」を観た。面白かった。原作買った。


***********

そう、それでまたこの話。
一人称の話。

今回は「さなぎ」という楽曲についてである。
歌:坂本真綾、作詞:坂本真綾。
(作曲に関して今回は1ミリも触れるところがないため、スルーします)


わたしはこの曲が大好きだ。
アルバム「FOLLOW ME UP」に収録されているバージョンと、中野サンプラザでのライブバージョンの音源を持っているが、
どちらも好きで、この2つだけを入れたプレイリストを作って繰り返し聞き続けることもある。

そうして気付いたことがある。
歌の中で使っている一人称が明らかに違う、ということ。


ちなみに、テキスト上では、一人称はすべて「私」に統一されている。
http://www.kasi-time.com/item-77183.html

フレーズを抜粋すると、以下の通り。

1.「耳鳴りが止んで 私生まれ変わってた」
2.「私だけど 私じゃない そして進化の先へ」
3・「ギリギリな方が 私無謀になれる」
4.「私だが 私だけを 完成させる」
5.「私だけが 私だけに 従うことができる」
6・「私だけど 私じゃない そして進化の先へ」

CD収録バージョンではほぼこの通りに歌っていると思う。
一部(1.と3.)ちょっとあやしいけど、少なくともサビの部分はすべて「W」の発音をしている。


それがライブバージョンだと、どうもこう歌っているように聞こえる。

1.「耳鳴りが止んで私生まれ変わってた」
2.「あたしだけど 私じゃない そして進化の先へ」
3.「ギリギリな方が私無謀になれる」
4.「あたしだが 私だけを 完成させる」
5.「あたしだけが 私だけに 従うことができる」
6.「あたしだけど 私じゃない そして進化の先へ」

やっぱり1.と3.は微妙なところだが(正直「あたし」に聞こえる)、
サビの部分はもう絶対明らかに、「あたし」と「私」をはっきり区別して歌っている。


その方が発音の関係上歌いやすいとか聞こえやすいとか、単純にそういう話かもしれない。
しかし、わたしは歌が下手なのでそういったことはちょっとよくわからない。
だから好きに解釈させてもらいたい。

以前も似たようなことを言っているが、坂本真綾さんの楽曲においては、
「わたし」より「あたし」の方が、彼女自身を表す一人称として、強い。
「わたし」より「あたし」の方が、生の人間のものである。
「わたし」より「あたし」の方が、真実である。

うまいこと言えなくてもどかしい(そして恥ずかしい)が、そういうことだと思う。


こう意識してしまうと、もうリリース当初はわざと「私」を強調していたのだとしか思えない。
ライブのための布石をあらかじめ打っていた。

「あたしだけど私じゃない そして進化の先へ」

こう歌いきることで、この曲はまたひとつ大きな進化を遂げた。
「あたし」は「私」という過去のさなぎを脱ぎ捨てる。
歌も、歌手も、常に進化している。
既存の楽曲を歌っているのではないのだと、強く証明したのだ。

たぶんね。
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